TEMA-NUKI Days

かんたんべんりにくらすためのちいさなライフハックなど

ミニマリズムは遠きにありて思うもの

 

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ミニマリズム、ものすごーーーーーく憧れてます。

最小限のものだけでシンプルに暮らす。
がらんとした何もない部屋で、本当に必要なものだけを使いこなして、シンプルに生きる。
がらくたやこまごましたものを処分して、本当に使うものだけを置いた充足した空間――

ああ~~~もうそんな言葉を書いているだけでドーパミンがだばだば出て来てうっとりしてしまいます…
本当に最高すぎる…ミニマムな空間でミニマリズムな暮らしがしたい…!

 

つのる憧れ


もともと学生の頃からシンプルライフ的なものには憧れていて、そういった本やブログなどはよく読んでいました。
それらに「ミニマリズム」という名前がついて、よりくっきりと「スタイル」「生き方」として確立したのがここ数年なのかなと。

ミニマリストの方々の本もあれこれ愛読していますし、ブログもあちこちおじゃまして読ませていただいてました。
これがまたみなさん毎日こまめに更新されていて、家の中を写した何気ない写真までがシンプルで素敵だったりして…がらんと「もの」のないフローリングの床に射し込む陽光とかもう…はぁ~~~かっこいい~~~!ってうっとり。
いろいろな方々の素敵な暮らしぶりや考え方を垣間見させていただくたびに、よっしゃわたしもやるぞー!とモチベが上がり、憧れに少しでも近づけるようにとあれこれ試行錯誤する。ここ一年ほどは特にその傾向が自分の中で加速していました。

 

現実にうちひしがれる


でも。
そうやって張り切っていらない「もの」を処分して部屋を片づけて―― ふと我が家を見渡すと。

どんなに「もの」を処分しても、そこにはまだまだ「もの」があって。
がんばって中身を処分して少しずつ棚やカラボを減らしても、床の上にはまだまだチェストや棚が鎮座したまま。

―― なんで?どうしてうちは「がらんと」しないの?

どうしてフローリングの床の上が「何もなく」ならないの?
どうして「何もない空間」にならないの?

たくさん処分したつもりになっても、よくやった自分!って達成感を抱いても、スッキリした!って思っても、憧れの方々のブログを見ると、まだまだ足りない…って落ち込んでしまう。
こんなのがんばったうちに入らない、まだまだ「もの」はたくさんある、どれから処分すればいい?みんなあんなにスイスイと「もの」を処分しているのに、わたしはどうしてこんなに思い切りが足りないんだろう?
焦りが募って、気持ちが落ち込んで、泣きたくなってしまう…

 

「憧れ」の罠


「模倣は最大の賛辞である」と言いますが、わたしはそれが強い方だと自覚しています。
特に「デザイン」的なものにおいて、それがとても強い傾向があって。
自分にはオリジナルなセンスがないという自覚は十分にあって、「これは素敵だ」という審美眼?的なものも人並み程度には…ある…?
だから、素敵だ!って思ったらそれを自分で工夫して作り上げるのではなく、その「素敵」をすぐに丸ごと取り入れたくなる…という感じなんだろうなと。

で、わたしから見ると「ミニマリズム」な家というのは本当に素敵で、美しくて、理想的で、住んでみたい家なんですよね。
だから、まねしたい。
自分が住む家も、あんなふうにしたい。
写真などで「憧れ」がはっきりと目に見える分、どこをどうすれば「憧れ」に近づけるかある程度具体的にわかる(気がする)のも、モチベが上がります。

でもそれって…「憧れ」と「現実」をいつでもすぐに比較できる、ってことでもあるんですよね。
「憧れ」の写真を見てうっとりしても、目を上げればすぐに自分の家という「現実」が目に入る。
足りないものばかり…いやこの場合は「多すぎるものばかり」の現実、憧れの家とはかけ離れた現状。

自分の中でつかの間満足できても、すぐに「憧れ」「理想」が比較対象として現れて、まだまだダメだ…とうちひしがれてしまう。
きっとがんばりが足りないんだ、思い切りが足りないんだ、もっと思い切れば、努力すればもっともっと「もの」のない空間にできるはず。
そう自分を奮い立たせて、でもいったいこれ以上どこをどうすればいいのか、もう十分がんばったのに、と無力感に襲われる。
そんなことの繰り返しで、一時期本当に際限なく落ち込んでしまいました。

 

自分のペースに戻る


で…なんかおかしいな、と。

理想的な暮らしを追求することで、どうしてこんなに落ち込んでるんだろう?って(笑)

理想って、「わたし」の理想であればいいんですよね。
他の誰かの理想を具現化した家が、わたしの理想の家とぴったり同じだとは限らない。

このまま「憧れ」の家をまねようと努力しても、それがイコール自分の「理想」に近づくわけじゃないのでは?
そもそも自分の「理想の家」ってどんななんだろう、そこから再確認しないとダメなんじゃ?

―― そのためには、あまりにも強烈に視覚に訴えてくる「憧れの家の写真」はいったん封印した方がいいのかも。

そう思って、何度も繰り返し読んでいた本や頻繁に訪れていたブログをしばらく断つことにしました。

すると…効果はてきめん。

近づきたい追いつきたいって焦りやもどかしさがスッと消えて。
自分に必要な「もの」を選び、自分が不要だと思う「もの」を処分する―― それがとてもラクに、そしてのんびりとできるようになりました。

 

「憧れ」が比較や競争にすり替わる


思い出すのが、ミニマリストの佐々木典士さんの本に書かれていた文章。

ミニマリストが陥りがちなのは、ついつい「モノが少ない自慢」「モノが少ない対決」にハマってしまうことだ。1章でもあげたように、ミニマリストとは「自分が本当に必要なもの」がわかっている人のことだと思っている。「大事なことのために減らす」人だと思っている。「必要」なモノは人によって違う。「減らす」内容も違う。だからモノがいかに少ないかを競うことはあまり意味がない。

- 佐々木典士著「ぼくたちに、もうモノは必要ない。- 断捨離からミニマリストへ」ワニブックス


読んだときに深く深く頷いて、納得して…でもわかったつもりでもわたしはすぐにこれに足を取られてしまうんですよね。
「もの」をどれだけ処分したか、どれだけ「もの」を持っていないか、そこに目が行ってしまって、自分も同じくらいの「もの」を同じようなペースで処分しなきゃと焦ってしまう。
「がらんとした部屋」「何もない床」、そういうものにばかり意識を取られて、じゃあそこでどう「暮らす」のかって肝心の部分がないがしろになってしまう。

目に見えるものはわかりやすいし、すぐに惹かれてしまいます。
でも問題はそこじゃないんですよね…そうわかっているつもりでも、素敵な部屋の写真や、こんなものを処分しました、これだけのもので暮らしています、という報告はとてもまぶしく、あっという間に目に焼きついて離れなくなってしまう…

 

遠くから、ほのかに感じていたい


今のところは「憧れ」の部屋や暮らしを必死に追わなくなって、自分の頭の中にイメージとしてぼんやりと描いているような状態です。

―― これが、わたしにとってはちょうどいいみたいです。

「憧れ」と現実を細かく比較するよりも、頭の中に「憧れのイメージ」としてぼんやりと掲げておく。
それを自分の力で自分に適した形で具現化していく方が、はるかに気楽で楽しいことなんだな、と思うようになりました。

たぶん、たどりつく結果は「憧れ」とはかけ離れた、垢抜けない感じになりそうですけど(笑)それが自分の「快適」の形なのであれば、それでベストなんですよね、きっと。

大好きで、憧れて、だからこそ今は少し距離を置いて。
自分の心のおもむく先に、自分のペースで進んで行って…それが自分なりの「ミニマリズム」になっていたらいいな、そう思ってます。