『ピュア・ラブ』に学ぶ(?)シンプルライフ
今から14年前、『ピュア・ラブ』という3部作の昼ドラが放送されていました。
医師の娘で小学校教師のヒロイン木里子と禅寺の修行僧の陽春が、病を乗り越え少しずつ惹かれ合っていく、ピュアッピュアなラブストーリー。
昼ドラにしてはめずらしい(?)超純愛、一作目があまりに好評だったために二作目、三作目と続編が作られ、ついには小説化までされてしまったという、なかなかに伝説的な昼ドラだと思います。
でも昼ドラでしょー?―― と思うなかれ!
二人の純愛はもちろん、禅僧の美しい所作に感嘆し、禅寺の厳しい修行にも詳しくなり、登場人物たちのきれいな言葉遣いに襟を正し、季節の風習を大切にする暮らしぶりにうっとりし、通い合うあたたかな気持ちに涙し…そんな、心洗われる素敵な作品なのですよ。
あまりにも好きになってしまったあげくDVDを買い、さらに数年前のスカパーの再放送で全話録画しBDに保存、もちろん小説も3冊全部買ってしまい。
今までいろんなDVDや本を処分してきましたが、厳しい選別の波をすべてクリアし未だに現役で見たり読んだりしている、本当に大好きな作品なのです。
で、最近また小説の方を読み直し始めたのですが…そういえばどうしてこの作品がそんなに好きなんだろう?とふと考えて。
二人の純愛が泣ける…っていうのはもちろんですが、なんというかこう、何もする気が起きないときに読みたくなることが多いような…?
―― で、思い当たったのが、作品のここかしこにある「シンプルライフ」感でした。
『ピュア・ラブ』のシンプルライフ
どの辺がどうシンプルかと言いますと――
シンプルゴージャスな住まい
ヒロインの木里子が住む家は、都内にあるマンションの最上階、メゾネットタイプの部屋。
小説にも詳しく描写がありますが、ドラマで見るとさらにすごい!
玄関には門扉つきのポーチ、テラスもガーデニングを楽しめるほど広く、和室から見える坪庭まであったりして。
リビングは吹き抜けになっていて2階へと続く階段があり、2階には父と木里子の部屋、そして大きなクロゼットもあるらしい。
祖母の怪我をきっかけにパートタイムのお手伝いさんが来るようになり、掃除(たまに料理も)を担当してくれます(余談ですが、ドラマでこのお手伝いさんを演じてらした女優さんが「あさが来た」でよのさん付きの女中さんを演じてらして、懐かしいー!ってなりました)
でもそんなゴージャスライフだけじゃなく、一番惹かれるのは、いつもさっぱりときれいな、シンプルな暮らし方であるところ。
そりゃもちろんドラマのセットなんできれいなのは当たり前…かもしれません。それにお手伝いさんがいればいつもきれいで当然だよね~って見方もできます。
ただ、この木里子たち家族ならこんなふうにシンプルに住めるだろうなぁと思わせられる、見ているだけで背筋がスッと伸びるような暮らしぶりが随所にうかがえて。
家族みんながそれぞれに、無駄なものを持ち込まずどこもかしこもいつもきれいに整えている。
そんな描写が、映るたびに、読むたびに、とても爽快な気持ちにさせてくれるのです。
丁寧でシンプルな暮らしぶり
上の項にも通じますが、シンプルでその上「丁寧」な暮らしぶりが本当に素敵。
木里子の祖母がとても上品なおばあちゃまで、古き良き日本の伝統や礼儀作法、和食などをこよなく愛し、木里子(日本人の父とアメリカ人の母のハーフ)にも厳しくしつけていて。
お正月のお雑煮や七草粥、雛祭り、そんな季節の行事もきちんと丁寧に行っています。
小説を読んでいるとひんぱんに出てくる毎日の食事の描写も、「和食最高…!」って涙してしまうような美味しそうな献立ばかり。
焼き魚やおひたし、お味噌汁などシンプルな和食ばかりなのですが、その代わり素材はどれも最高級な感じで、さぞかし美味しかろう…!と納得してしまいます。
木里子もマイセンのカップを一年に一客ずつお給料で買い足していくのが楽しみだったりして、お金持ちそうなのに地に足の付いた感じが好印象。
一家全員、チープでジャンクなものを使ったり食べたりせずに、質の良いものを少しだけ、じっくりと味わって使い、食べる、そんな暮らしをしているのがよく伝わってきて。
めんどくさがりで手間を抜きたがるわたしでも、こういう手間ならいくらでもかけたいよ…!ってうっとりしてしまいます。
禅僧のストイックな清貧さ
木里子が恋する禅僧の陽春は、禅寺の雲水として老師に仕えながら僧堂で厳しい修行に明け暮れる、ストイックな若き僧。
その彼の暮らしはまさにミニマム、徹底的に無駄を削ぎ落としたもの。
寺で彼に与えられた私室は3畳の和室、そこに置かれているのは文机と小さな箪笥一棹のみ!
そしてその部屋はもちろん、寺の中も、庭も、隅々まで常に掃き清められていなければならず、しかもゴミは極力出さずに何かに活かす徹底ぶり。
食事も菜食・素食で野菜の切れ端まで活用して工夫を凝らし、とにかく無駄なものは一切ない、あるものをすべて活用するという姿勢が貫かれています。
さらに修行の場である僧堂での生活は、立って半畳寝て一畳、自給自足ですべての所作が修行に通ずるという凄まじいストイックさ。
おいそれと真似できないことは重々承知の上で、ただもう読んでいるだけで心が清められるというか…つかの間その究極のシンプルの中に身を置いたような、何もかもが浄化されるような気持ちになって。
生活のすべては真似できなくとも、心の持ち方は倣うようにしたい、そんな厳粛な気分になれるのです。
「片づけられない」描写も
14年前の作品ですが、もうすでに「片づけられない母親」が出てくるんですよね。
木里子の担任する女の子の母親が、インポートショップを経営しブランドもので身を固めているけれど、家の中は足の踏み場もない状態になっていて。
父親はそんな妻と家の惨状に愛想を尽かして家を出てしまい、離婚はしていないものの母と娘の二人暮らしに。
母親は娘にツケで自由に買い物をさせて、あとで支払いをして回る放任ぶり。
食事も作ってもらえないので、娘はファーストフードをテイクアウトしては、家中で一番ものの少ない玄関でそれを一人食べる…
そんな女の子が、陽春にほのかに憧れ寺を訪ねて話を聞き、陽春の3畳の部屋や寺の様子を見るうちに自分の家もなんとかしたいと思うようになり、少しずつ片づけを始め。
ちょうどその矢先、家の中で崩れてきたものの下敷きになって骨折した母親が入院し、心配してやってきた父親に片づけの話をするうちに父親も心打たれ、一緒に乱雑な家をきれいにしていくのですよ。
その描写が、短いけれどまさにビフォーアフター!
リサイクルショップや清掃業者にどんどんものを処分してもらって家の中をぴかぴかにしていく描写は痛快かつ爽快!
きれいになった部屋の中で父娘二人でにこにこしながら夕食を囲むシーンは、良かったねえ…とホッとします。
この家族にはこの先もいろいろなことがあるのですが…陽春の教えはいつまでも彼女の中に生き続けてくれるだろうな、そうあってほしいと願わずにはいられません。
遠くに眺めて憧れる
以前このブログで、あまりにも素敵な暮らしぶりのまぶしさに中てられてしまわないように、そういった本やブログはしばらく断つことにした、という記事を書きました。
今も、なんとなくそれは続いています。
じゃあこういう本を読むのもそのひとつなんじゃない?と思うのですが…こういう小説を読んだりドラマを見たりするのは、焦りや落ち込みにはつながらない、むしろ爽快感やモチベにつながるんですよね。
もちろん、話の本筋が二人の恋模様であってシンプルライフがメインではない、というのが大きな理由だとは思います。
その上で、たぶん「フィクションである」ということも理由としてあるんだろうなぁと。
本当に現実の世界でこんな素敵な暮らし方をしている人がいる、というのは、わたしももっともっとがんばらなきゃ…!という焦りにつながる。
でも、フィクションの世界の住人なら、安心してただ憧れていられる。
…うーん、我ながらめんどくさいというか(笑)ややこしいですが、実際そうなのでしょうがない。
憧れは遠くに眺めつつ、フィクションに心癒され浄化されながら、良い感じのモチベをキープしていきたいです。